保身の秩序

 人が集まれば、当然に正義(公正)を追及し、切磋琢磨して互いを高め合い、成長する為にそれぞれが努力するものだと、ずっと青臭く信じていましたが、自分が50歳代の終わりに近づいてきて、ようやく、それが幻想であり、そういう集団を作るには、それなりの仕掛けが必要だということを悟りました。
 
 正義を求める向上心の旺盛な集団を装いつつ、そういう建前の下で、互いの保身を尊重し合うことで秩序が保たれ、その状態を覆すような力が内部から湧き上がることの無い関係性を大半の人が望んでいて、皆さん、それが一番、居心地が良さそうに見えました。

 私が見た「互いの保身を尊重し合う秩序」とは…

一、その集団が抱える問題の核心には触れない。
二、他人の領域には踏み込まない。
三、他人と気まずい関係にならないような言動を取る。
四、自分の本心は見せない。

…という暗黙の了解が出来ていて…

①「臭い物には蓋をする」、②見て見ぬ振り、③大勢に迎合する、④各々の既得権を犯さない、⑤権力におもねる、⑥批判的な意見は発し難い、⑦独創的なことは行い難い、⑧変化を好まない、というような集団を維持しよう(その意識の有無にかかわらず)とするものでした。
 
 日本独特の年功序列制度の悪い面ばかりが残った集団のように感じましたが、その状態で果たして、既存の人達を超える人材が育つのか…働く者の志は膨らむのか…非常に疑問でした。私は、ある種の虚しさと共にそこを去りましたが、その集団は、その集団なりの生き様で、それなりに続いていくのだと思います。
 そして、誰もが皆、同じように、その存在を根底から覆されるような事態に陥った時に初めて自らの本質と向き合うことになるわけです。だから、自らの本質を見ないまま逝く場合も有り得ますが、それも一つの幸せです。

今日の一言…「どちらにしても、自分のやりたいことがやれることは幸せです。


以上