”自立”ということ

長い間、自分の中では、「自立とは、働いて金を稼ぐこと」だった。
 ”自立”は、自分の力で生活することが必須だから、当然、生活費を稼ぐことが含まれる。だから、”自立”を考える時、「何の仕事に就くのか」「どの会社に就職するのか」ということが先に立ち、”働くこと”が”自立”の全てであるかのように漠然と思っていた。
 

 しかし、還暦目前で会社組織に属することから決別して、自分は”精神的自立”に欠けているなあと感じるようになった。”働くこと”は”自立”の一面の”物理的自立”であって全てではないということが分かってきた。

  会社に属することは、自ずと”会社の理屈”に自分の生き方をシンクロさせてしまうので、意識しないままに”精神的自立”を”会社の理屈”に委ねてしまっている。その方が楽ではある。
 しかし、色んな事で会社に属しなくなることは起きる。そうなって初めて、”会社の理屈”は人間の生き方の彩りには成っても最大公約数ではないことを知る。つまり、自分の生き方を持っていなかったこと、精神的に自立してなかったことを悟らされる。特に”会社の理屈”にどっぷり浸かっていた人ほど「どう生きるのか」に戸惑うのでは…。

 人は、幼い頃から「どう生きるのか」を熟成させつつ、「どう働くのか」を考えていくことが、本来の”自立”の道ではなかろうか。「どう生きるのか」=「どう働くのか」ではないはず。働き方”物理的自立”には変化が起きるから、その変化を乗り切る為に、自分の生き方”精神的自立”を見つめ続ける力(心の体幹を鍛える)が必要だ。また、逆に”精神的自立”が弱ければ、働き方”物理的自立”の変化に対して臆病になるし、耐性も弱い。

 

今日の一言…「”自立”には”自律”が伴わないと”真の自立”ではない。」

以上