老いに向き合う準備

 定年まで…年金が貰えるまで…取り敢えず頑張れば何かが見えるんだろうと漠然と思いながら、ほぼ馬車馬的に生きて来たというところで(私は、結局、そこへ到達する前に急ハンドルを切って大きく進路変更してしまったが)、社会は、年金だけでは暮らせない、だから、形式定年を超えて実質定年が徐々に伸びる、いわゆる「悠々自適の老後」というユートピアは幻想だったと、60年を生きて初めて知ることになる。

 

 「死ぬまで働かなければならない」ということを、特別に嫌だとは思わないが、ほぼ馬車馬的にやって来たことをさらに死ぬまで続けなければならないとするなら、それは誠に厳し過ぎる。何故なら、まず肉体は確実に衰えていくのだから…。
 だからこその「働き方改革」で、働く時間も量も質も軽くなれば大丈夫?…肉体的にはそうだろうが、心は?大丈夫?

 

 「人生100年時代」であれば、60歳以降は、もはや余生という「ほんの付け足しのおまけ」ではなく、そこまでの勢いに乗って惰性で通せる距離感ではない。新たなステージへ進むことであり、新たな生き方を持たなければ、立ちすくむだけなのでは…?

 

 老いに向き合う前に、まず、心と身体のケアをしよう。
 大なり小なり何かしらの喪失感を抱えているだろう。
 世の為、人の為、会社の為、仲間の為、命を懸けて来たつもりでも、他人の評価はそれ程ではなく、自分の代わりは幾らでも居て、有ったと思っていた信頼関係は社交辞令だったことを悟ったりもする。

 

 心と身体は一体のもの、心と身体の健康は相乗効果をもたらすとは言え、肉体的な健康がベースではなかろうか。もしも数値の良くない所があれば改善する努力をしよう。数値に表れるものは努力の効果が判り、改善の意欲を上げる。出来る限り、食事と運動で改善したいものだ。
 しかし、老いると完全な改善を望めないことが多々あり、現状維持ないしは衰えを遅らせる努力で、生涯つき合わなければならない状態にもなる。それでも、身体が改善していけば、それと共に心も安定し、前向きな気持ちになっていくように感じられた。心が前向きになれば、新たなことへの興味も湧いてくるものだ。


今日の一言…「生き方改革!その一!自分の尺度を見直すべし!」

以上