如何に生くべき⇒逝くべきか

 漠然と自分の人生は続くものだと思えていた時には「如何に生くべきか」を追い求めていたが、自分が死に至ることの現実味を感じるようになると「如何に逝くべきか」を考えるようになっている。

 「如何に生くべきか」も「如何に逝くべきか」も、どちらも現在地より先を考える前向きな姿勢ではあるにせよ、今直ぐに解決することでもない目の前に迫っていることでもないことに注力するのは、億劫なものだ。

 ついつい目先の雑事に逃げがちになる。

 「如何に逝くべきか」を考えると「やるべきことは多く、かつ面倒臭きこと多し」である。

 でも、”その時”は着々と近づいている。

 

今日の一言…「店を開き広げることよりも、仕舞うこと難し」

 

以上